ゲイリー・トムリンソン『音楽の百万年──人類の現代性の創発』
Gary Tomlinson, A Million Years of Music: The Emergence of Human Modernity
『アルテス』2015年9月号、165-169頁
旧石器時代のミュージッキング
スティーブン・ジョンソンは『創発――蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク』(ソフトバンクバブリッシング、2004)で、「創発(エマージェンス)」という現象を「低次のルールから高次の洗練へと向かう動き」と表現した。例えば、ロドニー・ブルックスが1990年ごろに制作した昆虫型ロボット「ゲンギス」は、この創発のメカニズムを取りいれていた。ゲンギスが画期的だったのは、情報が集約される中央制御装置を排して、無数のごく簡素な制御装置を体中に分散させたことだった。そして、それぞれの制御装置が情報をやりとりすることで、中央で制御するよりもずっと洗練された動きが可能になったのだ。単純なやりとりから複雑なふるまいが生まれるこうした現象を、ジョンソンは先の著作の副題にあるようなさまざまな領域にみとめていった。ちなみにブルックスらが設立したiRobot社は現在ロボット掃除機「ルンバ」の開発で知られている。
音楽学者ゲイリー・トムリンソンによる『音楽の百万年――人類の現代性の創発』は、この創発という概念によって旧石器時代の音楽を論じていく。ジョンソンが紹介したとおり、この概念はすでに多くの学問に取りいれられている。「身体化された認知」をめぐる研究などはそのひとつだろう。考古学や人類学でも同様の発想にもとづく理論が展開されており、トムリンソンはそれらを参照しながら先史時代の音楽のありかたを描きだそうとする。本書は新事実の発見から新たな理解を導くというより、これまで根拠もなく語られてきた推論を再検討して、事実を別の解釈によってとらえ直そうとするものだ。
再検討されるのは例えばこんな推論である。旧石器時代後期、人類は比較的安全な住居や洗練された道具を獲得していた。そうして生まれた余裕によって、過去を記録し、未来を予測することもできるようになった。生存に直接関わるわけではない道具、精巧な装飾品や楽器もつくられるようになった。それらは何か精神的なものと関わっていた。トムリンソンによれば、このような推論はほとんど根拠のないフィクションにすぎない。これに対して、彼は創発という発想にもとづくもうひとつのフィクションを提示していく。
トムリンソンが本書の出発点にしたのは、およそ百万年前の前期旧石器時代、アシュール文化である。この文化にはキャンプも携帯品もなかったようだが、水滴型の両刃石器がつくられていた。そして、この石器の左右対称性を抽象的思考のあかしと考える考古学者がいた。一方、この想定には何の根拠もないと指摘して、対称性は作業工程や素材の性質に由来する副産物にすぎないと主張した学者もいた。この論争に対して、考古学者クライヴ・ギャンブルは後者を支持しながら、抽象的思考を必要としない簡潔なやりとりの連鎖から対称性が偶発的に生まれたのではないかと論じた。作業全体を制御する思考を想定するのではなく、道具製作にまつわる集団のやりとりに対称性の由来を求めようとすることは、まさに創発の発想である。
トムリンソンがこの対称性の創発を本書の出発点にもってきた理由は、これに続いていく旧石器時代の音楽の展開――声の活用、離散的音高の設定、楽器の製作など――が、基本的に同じようなかたちで生じていったと解釈するからである。ブルックスの昆虫型ロボットは、動作をあらかじめ指示する中央制御装置ではなく、相互にやりとりする無数の制御装置によって生物のように動きまわる。両刃石器も同じように、集団のなかでの模倣やゴールのないフィードバックといった簡潔なやりとりを通じて、トップダウンではなくボトムアップによって生まれたと考えられる。ギャンブルはこうしたやりとりを、人類学者ティム・インゴルドがつくった「タスクスケープ」という概念を参照して説明した。タスクスケープはかたちに残らないが、動的で、時間と関わっている。トムリンソンはこのタスクスケープに、クリストファー・スモールが提唱した「ミュージッキング」、行為としての音楽を組みこもうとする。
創発の発想はすでに多くの学問に導入され、それぞれの領域で固有の議論と結びついている。トムリンソンがこのタスクスケープという概念をいかに理解したのか、さらに見ておこう。彼はこの概念の先駆として、アンドレ・ルロワ=グーランが早くも60年代半ばに『身ぶりと言葉』(ちくま学芸文庫、2012)で論じた、「動作の連鎖」をあげている。そして、これらは「社会的行動と物質的条件が出会うマトリクス」なのだと説明する。
生物の進化においては、生物が環境に適応するだけでなく、環境を改変してニッチをつくりだすことで、生物と環境が循環するように相互作用するという議論がある。トムリンソンはさらに、文化をもつ生物の進化においては、この循環のなかにもうひとつの循環、「エピサイクル(大きな円の円周を中心とする小さな円)」が生まれると語る。このもうひとつの循環とは、集団における相互のやりとり、「動作の連鎖」である。文化をもつ生物は、このやりとりを通じて環境に適応し、ニッチをつくりだす。そのため、トムリンソンは音楽の展開を環境への適応だけから説明する議論も、環境から切り離してしまう議論も受けいれない。音楽は生存に直接関わるものではないが、余裕から生じたものでもないと彼が考えるのは、こうした理由がある。
具体的事実をめぐる解釈をもうひとつあげよう。およそ4万から3万年前に繁栄したオーリニャック文化の遺跡からは、たくさんの装飾品や絵画、彫刻が見つかっている。ラスコーの洞窟壁画やホーレ・フェルスのヴィーナスもこの文化に属する。南ドイツの洞窟からは管楽器のような穴の開いたパイプが複数出土した。これらの出土品はまさに先に説明したような、人類の精神の発達をあらわすものとして解釈されがちだった。パイプは宗教的なものや、情緒的なものを表現するための道具と考えられた。これは人類の精神のひとつの到達点であり、ここからより複雑な音楽の展開がはじまる出発点でもあるという評価もあった。音楽学者はよく、このパイプからどんな音が出るのかに関心をいだいた。
トムリンソンの解釈はこれらとまったく異なる。まず、彼はこのパイプよりも先に、タスクスケープにおける重要な展開があったと推測する。パイプはこの展開の結果であるとともに、展開を手助けする手段でもあったのだろう。この重要な展開とは、音の高低を離散的にとらえることである。トムリンソンは、パイプの穴がどの音に固定されたのかよりも、穴が固定されたこと自体が重要だと考える。音の連続的な流れを分離して、固定したことが、後に洗練された音高のシステムにつながっていくからだ。トムリンソンによれば、世界を離散的にとらえようとする姿勢は同時代のタスクスケープ全般にあらわれていた。さまざまな出土品がこのことを物語っているという。
本書は、先史時代の文化をあつかう著作にありがちな、起源をめぐる問いを慎重に避けている。また進化における革命的な出来事も本書には出てこない。起源や革命という発想は、単純なやりとりの蓄積から偶発的に秩序が生まれるという創発の発想とは相容れないからだ。
トムリンソンの解釈は推論だけでなく、出土品の詳細な観察によっても補強されている。新発見にもとづく議論ではないが、彼の解釈をきっかけに新たな事実がこれから明らかになるかもしれない。とはいえ、それと同じくらい意義があるのは、創発というロボット工学にも応用される現代の概念によって旧石器時代の音楽を考察するという、彼の理論構成である。タスクスケープ、エピサイクルといった、創発と結びつく概念についての説明も充実している。音楽の成り立ちを知るためだけでなく、創発という視点から音楽を考えるためにも重要な著作と言えそうだ。