『アルテス』洋書レビュー 11.

マイケル・カーワン『ヴァルター・ルットマンと多様性の映画──前衛−広告−近代性』
Michael Cowan, Walter Ruttmann and the Cinema of Multiplicity: Avant-garde – Advertising – Modernity

『アルテス』2014年11月号、124-128頁

* omslag Walter Ruttmann PB 2015_DEF

 
ワイマール視覚文化における「光の音楽」

ヴァルター・ルットマンによる《週末》(1930)は、ミュジック・コンクレートのおよそ20年前に制作された「耳のための映画」である。教会の鐘や鶏の声などを交えながら労働者の週末を音のみで表現したこの作品を聞くたびに、冒頭1分ほどの歯切れのよいモンタージュの印象が残る。ピエール・シェフェールの《エチュード》連作(1948)がそれぞれの音の響きを強調するような、ゆったりした構成からなるのに対して、《週末》の冒頭はダンス・ミュージックのような躍動感がある。ルットマンが同時期に制作したサイレント映画《ベルリン:大都市交響曲》(1927)からも似たような印象を受ける。冒頭の疾走する列車のモンタージュでは、彼の「絶対映画」を思わせる幾何学的構成がリズミカルに展開していく。全体の構成も似ており、《ベルリン》は大都市の一日を描いたドキュメンタリーだ。《週末》が「耳のための映画」と呼ばれたのに対して、この作品は「光の音楽」と称された。

 
ルットマンは「絶対映画」と呼ばれる、1920年代にドイツで生まれた抽象アニメーション映画の作家のひとりとして知られる。しかし、ハンス・リヒターやオスカー・フィッシンガーら、他の絶対映画作家と比べて、彼は二つの点で異質だった。まず、彼は光だけでなく、音による実験にも早くから関心をもち、《週末》の他にもドイツ最初のトーキー映画《世界のメロディ》(1929)などを制作した。もうひとつの点は、リヒターらはファシストが政権をとると国外に渡ったのに対して、彼はドイツに残ってファシストのために映画を制作したことだ。20年代に映画芸術国民同盟など左翼的組織を先導したにもかかわらず、ルットマンは《意思の勝利》(1935)を制作するレニー・リーフェンシュタールの助手も務めた。

環境音を用いた創作の歴史を考えるとき、その先駆者のひとりであるルットマンの1933年以降の活動は、この創作が政治と結びついた顕著な事例として注目せざるをえない。《週末》や《ベルリン》の躍動感や周期的な構成は、ファシズムとなぜ、いかに関わったのか。マイケル・カーワンの『ヴァルター・ルットマンと多様性の映画:前衛−広告−近代性』は、ルットマンとファシズムの関係から目を逸らすことなく、彼の作品と当時の社会的・文化的状況のつながりを読み解きながら、ひとつの解釈を導こうとする。

カーワンが描き出したのは、第一次世界大戦直後の激変するドイツの大衆文化のなかで徹底して職業映画作家として活動しようとするルットマンの姿である。彼は映画の芸術的可能性を追求するとともに、同時代の大衆視覚文化の流行に歩を合わせ、産業や政治の要求に応えることを旨としたのだ。ルットマンはフランスのアルヴェルト・カヴァルカンティと比べて詩情に乏しく、ロシアのセルゲイ・エイゼンシュテインのような政治性もなく、形式主義的、官僚的だと評されることがある。カーワンによれば、彼の作品のこうした印象は、形式主義的な芸術観ではなく、大衆文化とのつながりから説明できる。カーワンが参照するのは民主主義がもたらすイメージの洪水に対応したワイマール時代の広告理論、アーカイブ、統計学などである。

 
1920年代のドイツには、社会民主主義政府による戦前の広告法の徹底した緩和によって新しい視覚文化が開花した。印刷物だけでなく、あらゆる公共領域が広告の舞台となり、カーワンの言葉で言えば「すべての表面が広告の標的になった」。電光掲示板や広告宣伝車などの登場もこのころだった。なかでも、映画は主要な新しい広告メディアとして注目を集めた。絶対映画作家たちはみな広告映画を制作しながら前衛的作品に取り組んでいた。

広告産業の拡大とともに広告理論もこの時期に発展した。広告理論家はベンヤミンよりもずっと早くから「気散じ」や分裂した知覚について論じていたとカーワンは指摘する。この広告理論家が頼りにしたのは、ヘルマン・エビングハウスらの精神物理学、つまり刺激と感覚の対応関係を測定しようとする学問だった。新印象派が参照したミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールらの色彩理論も重視された。こうした理論にもとづいて広告理論家が探求したのは、消費者の注意に対して広告の効果をいかに最大化するか、イメージによっていかに明確かつ迅速に情報を伝えるかという問題である。ルシアン・ベルンハルトらのポスターに見られる幾何学的形態、ハイコントラストな色彩、リズミカルな構成はこうした問題に対する解答のひとつだった。

カーワンはルットマンの広告映画だけでなく、彼の絶対映画作品《オーパス》連作(1921-25)にもこうした広告理論とのつながりが見られると考える。職業映画作家たらんとしたルットマンが同時代の広告理論を無視したはずはなかった。広告理論家もルットマンの作品に注目したようだった。カーワンが引用するケーテ・カーツィグは、当時の広告映画の主要なスタイルのひとつを「絶対」広告映画と呼んだ。これは偶然の一致ではなかった。ルットマンの作品はよく、リズミカルな運動によって観客の心を捉えることが評価された。こうような効果は精神物理学にもとづく広告理論においても特に重視されていた。《ベルリン》冒頭の列車のモンタージュも当時「ベルリンという都市を経験させるために、観客を振動させることに成功した」と評された。カーワンはこの振動が美的なものであるのみならず、広告が目指すものでもあったことを強調する。

 
カーワンによれば、《ベルリン》の具象的な映像には広告や精神物理学とは別の文化的な対応物がある。それは、商品カタログや科学的図解、写真アーカイブなど、同時代の視覚文化にくり返し見られた「横断的」なイメージの配置である。《ベルリン》には、別の場所にある別の対象が同じような形態になったり、動作をしたりする場面が何度もある。さまざまな建物の似かよったブラインド、居眠りするベンチの男と動物園の象、人間と人間、人間と機械など、異なる文脈にある存在が並置される。こうした映像は「横断的モンタージュ」と呼ばれている。

カーワンはこの横断的イメージを同時代人の統計学的認識が視覚化されたものであると論じる。19世紀後半に影響力を増した統計学は、一般的な法則に従わない個別的なもの、偶然的なものを対象とし、それらをひとつの図式に取り入れるための手段である。個別性と図式の緊張関係が統計学的認識の原理なのだ。カーワンはこの緊張関係が、厳密さをまったく欠いたかたちで、商品カタログや写真アーカイブにおける個別的なものの類似にもとづく配置にも見られると考える。さらに、ルットマンによる、多様で個別的な物事を都市というひとつの図式に取りまとめていく横断的モンタージュも、こうした統計学的認識を表現しているのだという。カーワンの指摘で興味深いのは、ルットマンを酷評したジークフリート・クラカウアーが、ゲオルグ・ジンメルの思想のなかにこの横断的イメージを発見したということだ。

 
カーワンの主張どおり、ルットマンの作品が精神物理学にもとづく消費者の管理や統計学的認識における個別的なものの把握と深い関係があるとすれば、彼が30年代以降、公衆衛生や人口問題といった主題を扱い、ファシズムと関わるようになった理由や経緯も推察できそうだ。カーワンは本書後半でこれらを論じている。本書はルットマンの作品に対する印象を一変させるものではないが、形式主義的な前衛芸術家という作家像には修正を迫っている。では、ワイマールの音の環境のなかで横断的イメージに対応するものは何だろう。残念ながら本書は《週末》や聴覚文化についてほとんど論じていないが、これらを考察するための手がかりに満ちている。

 

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