デヴィッド・グラブス『レコードは風景をだいなしにする──ジョン・ケージ、60年代、録音』
David Grubbs, Records Ruin the Landscape: John Cage, the Sixties, and Sound Recording
『アルテス』2014年7月号、122-126頁
録音をめぐるアヴァンギャルドの葛藤
元バストロ、元ガスター・デル・ソルのデヴィッド・グラブスによる本書は、60年代の実験・前衛音楽やそれを受けつぐ音楽を楽しむリスナーに向けられた問いかけだ。60年代にそうした音楽を担っていた作家の多くが、作品が録音され、流通することに批判的だった。しかし、現在のリスナーはたいてい録音を通じて当時の作品に接している。これを一体どう考えればいいのか。
67年生まれのグラブスは現在ブルックリン・カレッジの講師を務めており、2012年にはサウンド・アートの歴史をテーマとするシンポジウムにも出席している(本書にコメントを寄せたブランドン・ジョセフ、クリストフ・コックス、マリーナ・ローゼンフェルドもその登壇者だ)。W・J・T・ミッチェルのもとでジョン・ケージについての博士論文を書く計画は90年代からあったらしく、本書はその論文が元になった。
グラブスは先の問いかけについて、まず自身の音楽活動をたどりながら説明していく。80年代にパンクの自主制作ムーブメントを経験した彼にとって、レコードは聴かれるものだっただけでなく、作るもの、送り合うもの、見るものでもあった。ポストパンクの作家はラフな録音編集作業に創造性をこめた。そして90年代になると、今度はCDの洪水がやってきた。グラブスが意識したのは、レコードとは違ってCDプレイヤーが音楽の時間を数値で示したこと、また音楽の聴き方をより環境的なものにしたことだった。こうしたことへの反動が、シカゴに移り住んだグラブスを即興演奏家との交流や実験・前衛音楽に向かわせたのだという。彼はこれらの音楽に演奏家の間に流れる主観的な時間や、緊張感のある聴覚経験を見いだしていった。
CDはこうした音楽への関心を深めるためにも役立ったが、グラブスは自身の音楽経験が60年代の実験・前衛音楽の作家と根本的に違っていると強く感じるようになった。不確定性の音楽、長大なミニマリズム、テキスト・スコア、ハプニング、ライブ・エレクトロニクス、フリー・ジャズ、フリー・インプロヴィゼーションなどはどれも録音による再現に適さない。レコードに対するケージの辛辣なコメントはよく知られている。そして実際に、当時の実験・前衛音楽は人数的にも地理的にも小さな集団のなかだけで共有された。一方、現代はあらゆる音楽が録音を通じて潜在的に巨大なリスナーに聴かれている。
インターネットを通じて音楽が「共有」され、録音とライブの対比が活発に論じられる現在、グラブスが感じたギャップを考えることは実験・前衛音楽に限られた議論ではないだろう。もちろん、彼は単純にライブの意義を強調したりはしない。録音の拒否は小さな集団のエリート主義と表裏一体だ。実際は、実験音楽家も即興演奏家もレコードを作っていた。録音とライブの関係は変化し続け、現在は展示(グラブスもインスタレーションを手がけている)やワークショップで音楽を聴く機会もある。
グラブスは象徴的な人物や出来事のエピソードを連ねながら議論を進めていく。語りかけるような文章は彼のファンが現代音楽史を学びはじめるのに格好の入り口かもしれない。とはいえ、ライブと録音の長所短所を並べるだけのような入門書ではない。歴史の過程のなかで対比の構図は入り組み、そこに作家の情念がこもる。60年代の実験・前衛音楽家にとって録音は敵意の的であり、現在、録音を通じて当時の音楽を聴く者はこの呪いを突きつけられているとも言える。こうした事情のひとつの縮図としてグラブスが本書第1章のテーマに選んだのが、60年代からニューヨークで活動している思想家・音楽家ヘンリー・フリントのエピソードだ。
60年代初頭、トニー・コンラッドや後のユナボマーが在籍するハーバード大学の数学科で学んでいたフリントは、ラ・モンテ・ヤングらフルクサスの作家が集まるサークルに顔を出すようになる。そこで彼は「コンセプト・アート」という概念を提唱してレクチャーを開き、さらに激しい「反芸術」の主張をかかげて、コンラッド、ジャック・スミスとともにシュトックハウゼンのコンサートで抗議活動を繰り広げた。この時期、フリントは「アヴァンギャルド・ヒルビリー・ミュージック」と名づけた音楽活動も行なっていた。アメリカのヴァナキュラー音楽ヒルビリーをミニマリズムのスタイルで演奏するもので、ドラマーとしてウォルター・デ・マリアも参加していた。だが当時、彼の音楽の録音が発表されることはなく、それを聴いた者はごく少数だった。86年になって初めて過去の音源がテープで発売された。その後も沈黙が続いたが、2001年にCDが発表されると堰を切ったように10枚のCDアルバムが発売された。
フリントは2004年、ユビュウェブの発行人ケネス・ゴールドスミスがホストを務めるラジオ番組に出演した。彼がそこで繰り広げたのは、ケージらに対する激しい非難だった。フリントは60年代初頭、「回心」を経験したという。ヤングとともに録音を通じて聴いたポピュラー音楽に感銘を受け、フルクサス周辺のエリート主義に反発を覚えたのだ。彼は61年にフルクサスのサークルでケージと交わした会話が忘れられなかった。フリントは彼にジャズ、ロック、アメリカの伝統音楽の魅力を熱心に語ったが、ケージはそこに出てくる名前をまったく知らなかった。そして、ケージはフリントに「君はどうしてここにいるんだ」と返したという。フリントはケージがポピュラー音楽に対する無知を誇っていたと語った。彼によれば、ロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズのような経済的成功を得られなかった実験音楽家たちは、そのために商業性を敵視し、ヨーロッパの伝統に由来する芸術のヒエラルキーに固執したのだ。そして80年代になると、フリントの批判の矛先は今度は「最先端」のアフリカ系アメリカ音楽に向けられ、彼は84年に音楽活動を止めてしまっていた。
フリントがゴールドスミスと語り合ったラジオ番組のなかで、グラブスが注目したのは一瞬の沈黙だった。ゴールドスミスはごく軽い調子で、いまはカントリーやブルースと前衛音楽どちらも聴くといっても驚かれない、自然なことだと語った。それに対して、フリントはしばし言葉を失い、ぎこちない返事をして、またケージ批判を再開した。グラブスはこの彼の沈黙に実験・前衛音楽が経てきた半世紀の歴史の結晶を見る。録音の拒否はたんなる思想の問題ではなかった。フリントの関心は録音を通じて養われたが、彼が商業性を全面的に肯定することはなく、前衛の手法を民族音楽に適用した彼の音楽の録音は2000年代までほとんど聴かれてこなかった。フリントの録音が急に、大量に発売された理由として、グラブスは90年代後半から続いている二つの動向、ミニマリズムの再検討と、ハリー・スミス《アンソロジー》(1952)再発に象徴されるアメリカ伝統音楽への関心の高まりをあげている。さらに、現代芸術の録音・動画共有サイト、ユビュウェブを運営するゴールドスミスがフリント自身を潜在的に巨大なリスナーの前に連れだした。ともに根っからの反体制派である両者の姿勢には明らかなギャップがあり、これは録音技術をめぐるものだ。
グラブスは本書の残りの章でもこうしたギャップを見つめていく。録音作家としてのケージ、フリー・インプロヴァイザーとレコード文化、ウェブ上の一時的アーカイブなど、彼が取り上げた論点はどれも単純な対比に還元できない。
グラブスもまたゴールドスミスのように、音楽における「アヴァンギャルド」の意味が変化したと平然と語っている。彼によれば、現在この語は芸術のヒエラルキーを背景とする音楽の前線よりも、様式的な純粋さやまじめさがないことを意味している。ケージが追い求めた洗練よりも、思いもよらない雑食性を意味している。フリントの情念や録音とライブの対比の構図が変化していくさまをふまえて語られる彼の言葉には、同時代性を感じる。録音技術の普及によって20世紀前半の音楽がどう変化したかを考察した著作は多いが、本書はその実験・前衛音楽版と呼べるかもしれない。ただし本書の題材はすでに変化して当たり前になったものではなく、現在進行中のジレンマであり、葛藤である。